YaTaro文庫

読書家です。いろんな事を知りたくて、たくさん本を読んでいます。せっかくなので選書や気になることがあったら情報共有したくて、ブログを開設しました。同じ趣味の方がいらっしゃったら是非、読んでいってください。

フラット 「第2話 迷子」

 後ろの席の方から、乗客が押し寄せてくる。
 網膜に描写される拡張現実の感情センサーは、視界の隅の方で警告のアラートを発していた。

 何人もの乗客が、奏でる足音は、僕の席を通り過ぎる。

 7両編成の列車のどこで、事件が発症したのかは、定かではなかったが、少なくとも2両分くらいの人数が、列車の号車間を移動していた。

 何か、事件や事故が起きたとき、真っ先に防ぐべきなのは、災害の大元ではない。
 二次災害だ。

 そのことを、僕達は数々の災害で学んだ。

 江戸の大火から、平成の大地震まで、僕達の祖先が、その教訓を伝えてくれた。

 走らない乗客。

 おはしもに忠実な乗客はまさに、僕の席の脇を通り過ぎる。

 他の誰でもない、自分の身を一番に考える彼らは、感情の揺れ動きを、徹底的に抑えつける。

 自分も慌てたり、怖がったり、平常心を崩せば、感情が傾く。

 その恐怖は、眉間にシワを寄せて、淡々と歩く乗客の表情が物語っていた。


「あっ」
 僕が向ける視線の片隅で、歩く乗客の中で何かに躓き、転んだ子どもがいた。

 大名行列の真ん中で転んだ子どもに向かって、無慈悲に乗客が押し寄せてくる。

 まずい、僕は、慌てて大名行列に身を乗り出し、子どものもとへ足をすすめる。
 僕が、その子のもとへたどり着く間にも、子どもの足は無数の大人たちに踏みつけられ、時折、乗客たちは表情を一つ動かさず、堂々と子どもの身体を無残に踏みつける。
「痛い。」
 子どもは、思わず身体を丸め、か弱い手足を守ろうとする。

 僕は急いで、子どもに駆け寄って、子どもが波に呑まれないよう乗客の波を遮る。
 コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ

 革靴で列車の床をかき鳴らす音が響く車内で、僕はうずくまっている子どもに声をかける。

「大丈夫?」
 大きなピンクのリボンを後ろ髪につけて、髪をまとめていた女の子は、僕の方を振り向き、助けを求めるように僕にしがみつく。

 満員電車で乗客同士が押し合っているかのような状態の狭い通路から、逃れるために、僕は、女の子を抱き寄せ、一歩ずつ前に、歩き進める。

 そして、女の子が倒れていた場所から、一番近い、昨夜会った知り合いのもとへ避難をした。

「ふぅ」

 

「うわっ、どうしたんですか」
 ミサさんは、僕の様子と、連れてきた女の子を見て、動揺する。
 そして、すぐに、女の子の真っ白いワンピースがしわくちゃになり、踏みつけられた痕跡を確認すると、土汚れをはたくように、きれいな手を伸ばして、優しく女の子の洋服に触れた。

「ううっ」
 女の子は、目を潤わせて、ミサさんを見つめる。

 ミサさんは、その様子を確認すると、ハッと気づいたように、女の子を抱きしめ、背中をさする。
「駄目だよ。駄目だよ。泣いちゃ。感情が傾いちゃう。」

「ううっ」
 女の子は、必死に、自分の感情を抑えようと我慢する。

「痛かったよね?痛かったよね?」
 ミサさんが、そう言うと、女の子は必死に、うんうんと頷く。

 ミサさんは、踏みつけられた場所の周辺を優しく撫でる。
「痛くない。痛くない。」
 女の子を見つめ、目を背けずに、安心させるように務める。
 しばらく、落ち着かせるように、女の子の背中をさすっていると、次第に女の子の感情の揺れが収まっていき、体が痛みに反応することで起きる痙攣も収まってきた。

 女の子は、ゆっくり息を吸うと、ミサさんを見上げて、つぶやく。

「お母さんは?」
 女の子は、落ち着いたのか、状況を把握し直し、周囲の変化を再認識する。

「お母さん。。」
 女の子は、落ち着いた車内の通路に出て、寂しそうに周囲をキョロキョロと探す。

「いない。どうしよう」
 6歳くらいだろうか。僕は、両親を探すための手順を考える。

「名前を聞いても良いかな?」
 僕は、女の子の視線と合わせるために、床に膝をついて、声をかける。

 女の子は、まっすぐ僕の目を見つめると、勇気を出すためか、一度視線を落としてから再び僕を見つめて答える。
「アリス」
 小さな声で、ぼそっと、名前を口にする。

「そう、アリスちゃんって言うの。かわいいお名前」
 ミサさんは、僕と会話しているところを割り込むようにして、アリスを元気づける。

「じゃあ、アリスちゃん。これ握って」
 そういうと、ミサさんは、胸にぶら下げていたペンダントを首から外し、アリスに渡す。

 ミサさんがそうして、アリスを落ち着かせているのを確認すると、僕は、列車内に目を向ける。

 

 後方から押し寄せていた乗客は、既に前方に移動しきったようで、前方の社内からもざわつく声が聞こえる。

 おそらく今、探しに行っても、見つけるのは、ほぼ不可能。
 しかもアリスの両親は、僕が助け出したときに、一生懸命、この子を探していなかった。声すら、上げてなかった。

 そして、風景が流れる窓を眺めて、推測する。
 混乱した乗客は、降りることができず、しばらくすれば、元の席に戻るはず。
 そのときに、一緒にアリスの両親を探すことにしよう。

 ミサさんが、アリスに両親の名前や、座席を聞き出しているのを横目で確認をして、ミサさんに声をかける。

「僕は、後方に戻って、何が起きたのか、確認してきます。一旦、状況が落ち着くまで、アリスちゃん見て頂いても大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です。何が起こったか、分かりませんが、マサトさん。十分に気をつけてください。」
 ミサさんは、僕と同じコンタクトレンズを付けているのか、網膜の左下が赤く点滅しているのが確認できた。

「ありがとうございます。助かります」
 僕は、ミサさんと目を合わせて、お互いの役割を確認するように頷くと、事件現場へと赴いた。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 現場には、数人の人だかりがあった。
 シルクハットをかぶったスーツ姿の紳士や、上流階級の華やかなドレスを身にまとった女性達。
 他にも、軍服を着た兵士が数人と、後方車両の担当をしていると思われる官帽と制服を着ている車掌さんがいた。

 そして、全員が、床に落ちた赤い血痕に目を向けていた。

 ゴクリと息を呑む音が聞こえる。
 普段見ない血の跡に、みんな冷や汗を流していた。

 僕が駆け寄ったときには、拡張現実が発しているアラートは収まっていた。

 現場では、全員が感情測定器を身に着け、もう過ぎ去った危機ということを自覚する。

 

「いったいなにが」
 緊張の糸が解けたように、ある紳士は、口を開く。

 紳士はしゃがんで、まじまじと血痕を観察する。

「これは、一体誰の血痕なんだ?」と。


 そして、周囲の野次馬に声をかける。
「だれか、現場を見ていた人は居ないか?」と。


 コツと一回、ヒールが床を叩く音が聞こえる。
 動揺して、後ろにたじろいだ時に発された音だった。

 そして、静かに息を吸うと、いきなり声を荒らげる。
「ワタシ。見てましたわ!」

 ほんとですか?お嬢さん。と、紳士が聞き入る前に、割り込むようにベラベラとお嬢さんと呼ばれた女性は話し続ける。

「ワタシも朝、目を覚ましたんです。」
 私も?僕は、言葉尻に疑問を感じる

「皆さんは、感情測定器のアラーム音で目覚めたと思うんです。
 でも、

 私は、違いました。歯の。

 歯の凄まじい。。
 歯ぎしりの音が鳴り響いて、そして、爪を噛んでいる音で目が冷めました。

 知っていますか?
 爪は噛むと、割れる音がなるんです。
 ポキ、ポキって。


 ああああああああ、気持ちわるい」
 お嬢さんと呼ばれた女性は、その言葉を吐露するために、ここに来たのだろう。
 自分の頭の中に、留めていることに耐えられないのだろう。

 お嬢さんと呼ばれた女性は、苦悩に満ちた表情で、耳を塞ぐ。
 そして、
 早く忘れたい。早く忘れたい。とボソボソつぶやいていた。


 そして、彼女の苦悩をよそに、隣の紳士は、彼女に質問を投げかける。


「その男が、感情が傾いた本人ですか?」
 紳士は立ち上がり、彼女に質問を投げかける。

「いえ、わかりません。」
 彼女は、手持ちぶたさに、両手で自分の耳にこれからつける予定のイヤホンを触りながら答える。

「もう気持ち悪くて、、、、目を閉じていましたから。分かりません」

 感情測定器は、イヤホンと連動し、耳に割り込んでくるが、ここにいる乗客は全員、イヤホンをつけていたせいで、事件の真相は何も把握していなかった。

 僕は、一歩引いたところで、周囲を確認する。

 後ろから2号車目が事件の起きた場所。
 1号車と2号車は連結されているために、すこし、スペースを確保している領域がある。その床に血痕は付着していた。

 2号車の1号車よりの窓。
 血痕の近くの窓は一つだけ、空いていた。

 人が顔を出せるような空間を窓が作り出していたが、
 本人がここから、飛び出したのだろうか。

 そのまま、乗客に紛れているのかは、わからなかった。


「感情が傾いたら。人はどうなるの?」
 さっき、感情を消化するように吐露した彼女は、その勢いのまま、皆が一番気になることを口ずさむ。


「。。。」
 彼女が言い放ったその言葉に、僕を含め、全員が口をつぐむ。

 


 そう。だれも、見たことがないのだ。

 

 僕らは、何も結論を出すことができずに。
 もやもやした気持ちを抱えるまま、自分の座席に戻ることにした。


 肩を落とし、そろそろと、自分の席へ戻る乗客。
 まるで、この煮え切らない気持ちを抱えて、何時間も旅をするのが、死や恐怖よりも苦痛ということを自覚しているようだった。

 もう一度、僕は窓の外を眺める。
 窓の外には、昨夜と同じ、砂漠地帯が広がっていた。

 こんなところで降りても生きていけるはずがない。

 こんなところで降りる目的がわからない。

 こんなところで降りれるのか。列車はそこそこの早いスピードで走っているのに。

 僕は、ため息をつく。

 紛争地帯に着くまで、ゆっくりできるのかと、思いきや、とんだ災難に巻き込まれたと。

 それにしても、感情が傾いた本人は、一体、どこに行ったのだろう。。。。

 

 4号車目に移動をすると、先程まで、一緒にいた二人がじゃれ合っていた。
「くすぐったい。もう」
「こしょこしょこしょ」
 二人の声が、4号車の室内に楽しげに響いていた。

 ミサさんの席に着くと、アリスがミサさんの横に座り、ニコニコじゃれ合っていた。
 アリスは、ミサさんの着ている真っ白なニットワンピースの上から、脇のあたりをくすぐっている。
 ミサさんは、くすぐりに耐えようと、体をよじらせて、笑いを堪えていた。

 声をかけて良いものか、考えたものの。
 このまま、アリスの相手をさせていては申し訳ないと思い、ミサさんに声をかける。

「事件現場、見てきましたが。すいません。何も情報つかめずでした」

「そうでしたか」
 ミサさんは、僕の方を振り向くと、お返しにアリスに向けていた手を止めて、返事をする。
「今、乗客の皆さんは、バタバタしているので、なかなか見つけづらいと思います。
 次に着く駅で、大半の人が降りるでしょうから。そのタイミングで駅の出口に先回りして、アリスちゃんの両親を探しましょう」

 ミサさんが頷いたことを確認して、僕はまた、窓を眺める。
 太陽が、周囲を照らし始めたばかり。
 今は朝。着くのは、おそらく昼頃。

 このまま、ミサさんに、面倒を見ていただくのも、気が引けるので、僕は、アリスに声をかける。

「お兄さんの席に戻ろうか。ちょうど、僕の隣の席開いてるから、そこでゆっくりしよう?」

「えー」
 アリスは、席に座ったまま、立ち上がろうともせずに、ゴネる。
 僕の顔を見ると、頬を膨らませて、嫌だと言う。

「でも、ほら、お姉さんも、きっと次の駅まで着くまでゆっくりしたいと思うし」
 僕は、想定外の反応に、慌てて答える。

 ずっと、子どもに接することがなかったせいか、こんなときにどうすればいいのかわからない。

 僕は、アリスの嫌がる顔を見て、悩む。

「ほら、行こう?」
 結局、アリスの腕を握って、引っ張ることしかできなかった。

「嫌だ。お姉さんと一緒がいい」
 アリスがそう言うと、隣でミサさんが笑う。

「私が面倒見ておきますよ。マサトさんは、ご自身の席に戻って、ゆっくりしていてください。」
 ミサさんは、僕にそう言って、気遣う様子を見せると、アリスの方を見て、ニッコリ笑う。

 アリスは、ミサを見て、ムッとする。
「嫌だ」

 そんな返答にミサさんは、思わず僕の顔を見て、眉毛を上げて、困り顔をした。

「じゃあ、置いてる荷物片付けるので、マサトさんもこちらの席でゆっくりしていってください」
 ミサさんは、そう言うと、自分の広げている荷物を片付け始め、頭上にある荷物収納用の棚にしまった。

 そして、結局。
 二人席にミサさんと僕が席に座り、アリスは、僕の膝の上に座るという形で落ち着いた。

 


 ゴトゴト、列車が線路を滑走する音が、耳に入る。
 なんだか気まずい。

 僕は、ミサさんのことをチラッと見ると、ミサさんも自分の膝下に目線を傾け、手持ちぶたさに、自分の指をつねっていた。

 昨日の夜は、オレンジ色の炎に照らされて褐色がよく見えてた肌も、今日は真っ白い綺麗な肌が僕の目に映っていた。

 端正な顔立ち、横から見ても、きれいに見える。口元の赤いリップがなんだか、色っぽい。

 そんなに、ジロジロみるもんじゃないと、僕が自分の気持をいなしていたところに、アリスの声が聞こえる。

「ねぇねぇ。お兄さん」

 そして、無邪気にアリスは、後ろにいる僕を見上げて、興味津々な表情で言った。

「お兄さんたち、付き合ってるの?」

 しばらく、沈黙が流れる。

 もしかして、アリスにはそう見えていたのか?
 僕は、突然の質問に驚きつつ、慌てて、否定しようと口をあける。
 っと。その前に僕の言葉を遮る声があった。


「つ、付き合ってますよ」 
 ん?
 僕は、返事の違和感に、隣りにいるミサさんにすぐ顔を向ける。
 ミサさんは、悩ましい表情を浮かべながら、アリスに答えていた。

 えー。
 僕は口には出さずに驚く。いいんですか。あなたシスターなのに。
 そんなことを、考えながら、あたふたしていると。

 ふっと、僕の耳に、ミサさんの吐息がかかる。
 そして、聞こえないくらいの吐息が混じった声でこう言った。
「合わせてください」

 ミサさんは、アリスに気づかれないように、僕に耳打ちをする。

 あー。うーん。そうだよ。
 僕はどぎまぎしながら、ミサさんの話を合わせる。

 

「じゃあ、ちゅーしたりするの」
 アリスは、無邪気にミサさんに質問をしている。

「えぇぇぇ、それは。。。」
 ミサさんも、思わないカウンターパンチに狼狽えている。

 そして、急な出来事に、思わず、ミサさんは耳を真っ赤にしていた。
 どうするんですか、ミサさん!!
 僕は、心の中でそうツッコミながらも、さきほど、目にしていた。
 赤いリップを塗ったミサさんの唇に視線が移り、なにやら、変なことを考えてしまう。


「し、しないよ」
 否定した。

 ミサさんは、意を決したように、そう答えた。

「そうなんだ」
 アリスは期待はずれの回答に肩を落とす。

 そして、僕の膝に乗りながら、足をぶらぶらさせて、話し出す。

「アリスのお父さんとお母さんも全然、仲良くないんだ。
 いつも、全然、仲良くなくて。好き同士なのにチューもしない。見たことないんだ」
 そして、一拍間を置いて、もう一言。

「アリスに笑いかけてはくれるけど、お母さんはチュー、してくれない」
 アリスは、寂しそうに俯く。

 寂しそうにするアリスを見て、ミサさんはアリスの手を握って答えた。

「おいで」
 よいしょ。
 そんな、声と一緒に、ミサさんは、両手でアリスを持ち上げて、自分の膝の上に乗せて、強く抱きしめる。


「お姉さん、温かいね。」
 アリスは目をつむり、そうつぶやく。
 ミサさんは、アリスの頭に顎を載せて、うん、と頷く。

「お父さんとお母さんきっと、見つかるから。」
 大丈夫だから。そう呟いて、もう一度、ミサさんはアリスの存在を確かめるように、抱きしめた。

「お姉さんの名前教えて」
「ミサだよ」
 アリスは名前を聞いて、ニコッと笑う。
「じゃあ、これから、ミサって呼んでもいい?」
「もちろん」
 ミサがそう、心地よく返事をすると、アリスは満足そうな表情を浮かべた。
 そして、ミサさんが横にいる僕の顔を見つめる。

「アリスちゃん。お兄さんの名前は、マ・サ・トだよ」
 ミサさんに呼び捨てされて、ドキッとする僕をよそに、アリスは意地悪そうに答える。


「お兄さんは、お兄さんのままでいいや」

 アリスは僕の方を見て、ニヤリと笑った。

 

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「あとで、街に着いたら、懺悔します。嘘ついたこと」
 僕の膝の上で、疲れていて寝ているアリスを見てミサさんは言う。

「あの、すいませんでした。なんだか、ご迷惑をおかけするようなことになってしまって」
 ミサさんは、僕に対して、頭を下げる。
 気にしていませんから。と僕が、思わず返事をすると、
 ミサさんは、そうですか。それはそれで。
 と、歯切れの悪い回答をする。

「あのときは、この子に、失望感を与えたくなかったんです。嘘ついたこと。
 生まれて初めてなんですけど、どうしても、アリスちゃんに笑っていてほしいなって思ってしまったんです」
 ミサさんは、アリスの寝顔を見て、よしよしと頭を撫でる。

 アリスは、すやすや寝息を立てて、僕にしがみつくように寝ている。

 さっきの、初めて見せた意地悪そうな顔が、嘘のように思えた。
 ずるいよな。こんな可愛いなんて。

「僕は、凄いなと思いましたよ。誰もが、我が身を優先して、逃げ回っているんです。そんななかで、自分の教示に反しても、目の前の大切なことに目を背けずにいる。素敵です」
 僕はミサさんの言葉をフォローするように声をかける。

「ありがとうございます。そう言っていただけると、少し気持ちが楽です」
 ミサさんはクスっと笑った。


 窓の外を眺める。
 ずっと、慣れ親しんでいた砂漠地帯から、大きな城壁に囲まれた街が見えてきた。

 次に着く街は、ジェイミーティと呼ばれる。砂漠の大地の上に建てられた城塞都市。

 一日走り続けた列車は、ようやく、補給のための都市に入ることができた。

 照りつける日光を遮るようなドーム状の駅中に入ると、そこは、無人駅になっていて、乗客が降りるためだけのゲートが数台設置されていた。

 僕は、ミサさんとアリスに声をかけ、今朝、会った車掌さんに事情を話し、駅の出口のフラッパーゲードの前で、両親が通り過ぎるのを待つことにした。

 車掌さんは、今朝の騒動を踏まえ、フラッパーゲートを一つだけ使用すると、乗客に説明し、監視をするように、一緒にフラッパーゲートで通りすがる人並みを見つめていた。

 この列車には、様々な人が乗っていた。
 年齢で区分しても、幅広く。
 身分で区別しても、幅広く。
 人種で区別しても、幅広く。
 職種で区別しても、幅が広かった。

 まるで、世界を旅行したあとのような、気分になりつつ。
 紛争地帯へ、向かう列車が、一体何を、運んでいるのか。
 ふと、疑問を感じた。


「お母さんとお父さん。いる?」
 横にいるミサさんは、アリスに声をかける。

「ううん。。まだ」

 アリスは、じっくり、見逃すまいと凝視している。

 どんどんどんどん、人通りが少なくなっていく。

 そんな状態に、僕もだんだん心細くなっていく。

 本当に、見つかるだろうか。
 本当に、列車内にいるのだろうか。
 もしかして、なにか事件でも巻き込まれたのか。

 別の車掌さんが、列車内からこちらに走ってきて、こう告げる。

「乗客の皆さんは、これから清掃ですので、全員、外に出ていただきました」
 聞きたくなかった。

 僕は、どんな表情をすれば良いのか。困惑する。

 列車内で迷子。スクリーニング検査をしても、乗客で両親らしき面影はない。

 アリスの僕の手を握る力に力が入る。
 微かな、震えが伝わってくる。

 まだ小さい子が、目にする現実にしては、残酷すぎる。

 ミサさんが、フォローをするようにしゃがんで、アリスに声をかけようとすると、アリスは、呟く。

「全然、涙が出ないの」

 え、ミサさんが聞き取ろうと、身を乗り出すと、アリスは答える。
「お母さんとお父さん、居なくなっちゃったのに。不思議と心が、悲しんでくれないの」

 アリスはミサさんに抱きつく。

「転んで、痛いのは痛かった。踏みつけられて、泣きそうなくらい痛かったのに。
 お母さんとお父さんが居なくなったのに、全然、心が痛くならないの」
 アリスはミサさんの胸に顔を埋める。

「お母さんとお父さんが、私にくれた優しさが、なくなって、寂しくなると思っていたのに。ならないの。自分が、なんだか、空っぽみたいで。嫌だ」
 アリスは、突如直面した、自らの心の空虚さに嘆いていた。

 気づけば、もう、駅にいる乗客は僕達しか、残っていなかった。

 僕は、気分を変えようと声をかける。

「アリスちゃん。気分転換に、僕達も街に行ってみようか。きっと、面白いものたくさんあるよ。列車は数時間は、ここでメンテナンス作業に入るはずだから、ぶらぶら歩いてみよう」
 うん。アリスは、ゆっくりミサさんの胸元で頷くと、僕達の手を握りながら、駅の構内を出た。

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 雪は降らないこの街は、気温差が激しく、平均気温は冬の寒さ、夜は零度以下になるという寒さだった。

 

「これ、かわいい」
 ミサさんが、出店が並んでいる商店街で、アクセサリー類を見て、楽しんでいる最中に、アリスは、つまらなそうに、ミサさんの横顔を眺めている。

 そんなことが、わかりきっていても、僕もどうやって、楽しませてあげたら良いのか。検討がつかなかった。

 ミサさんは、そんなこと気にせず、目の前のアクセサリーに心を踊らせている。

 ミサさんが、小さなイヤリングを手にして、耳につけて僕に見せる。
「どう思います?」

「に、似合っていると思いますよ」
 僕は、なんだかぎこちない返事をしてしまった。
 が、覗き込むように、僕の顔色を伺うミサさんは、嬉しそうにニヤける。
 三日月型の金色のイヤリングを耳につけて、店に置かれている手鏡で確認をすると、ミサさんは満足そうに頷く。

「つまんなーい」
 アリスはミサさんの楽しみ方がまだ分からないようだ。

 そして、店の外にあった池に走っていき、手で触って冷たいと叫ぶ。
「ほら、見て!割れないよ!」

 ぎゃはははと、恰幅の良い笑い声が聞こえる。

 

 女性二人の興味を向けるギャップに驚きを感じながらも、僕は、池で跳ねるアリスに向かって叫ぶ。

「あんま、跳ねると、氷割れちゃうから、気をつけろよ」
 僕の声に、お会計を済ませている途中で夢中だったミサさんも、アリスの方を振り向く。

 あ。ミサさんが振り向いた頃には、遅かった。

「うわ」
 そんな声とともに、氷は静かに割れて、アリスを池の中へと引きずり込む。

「おい」
 思わず、僕はそう叫んで、アリスのもとへ駆け出す。
 商店街の出店の間の石畳の地面に滑りそうになりながらも、なんとか、落ちた池へとたどり着く。

 そして、全身が水で浸かってしまったアリスを僕は、急いで引き揚げた。

「ううう。ささささ寒い」
 アリスの白いワンピースも上から羽織っていた温かいダウンジャケットもびしょびしょに濡れた状態で、アリスは白い息を吐く。

「馬鹿だな。唇、青いじゃん」
 僕は、そう言って、すぐに自分の上着を脱いで、アリスの体を覆う。

「大丈夫?」
 ミサさんは、僕の後を追うように、駆けつけてきて、アリスの様子を見る。

「寒い」
 アリスは、濁声で、凍えながら話す。
 真っ青な唇を見て、僕は嫌な予感を感じる。


「ちょっと、ミサさん手伝ってくれませんか」
 僕は、周囲を見渡し、風が通らないコの字の路地を見つけると、そこに二人を連れて行く。

「ミサさん。ちょっと、今、着られている上着で、僕達のこと隠しといてもらえますか」
 ミサさんは、頷くと、僕達が見られないように、上着を広げて、アリスを隠す。


「アリス。全部濡れちゃって寒いだろ。」

「ううう。寒い」
 アリスはガタガタ震えている。

 僕は、長期の外泊用に持ち合わせていたリュックを降ろし、衣類を取り出し始める。
「どこまで、濡れた?」

上着と、ワンピースと靴と」
 途中まで、言ったところで、アリスは恥ずかしそうに、口を噤む。

「中までは、大丈夫だったか?」
 僕は、衣類をどこまで、出せばよいのか、迷いながら、アリスに質問する。

「ううん」
 アリスは僕と目を合わせると、可愛い瞳を背ける。
 そして、言いづらそうにそっぽを向いて、ミサの名前を呼ぶ。

 僕達の姿を両手を広げて、隠してくれてるミサさんは、こちらに振り向き直り、まだアリスが洋服を脱いでいないことを確認すると、アリスの元にかけよって、耳打ちに応じる。

「パンツも濡れちゃった」

 あぁ。とミサさんは、頷くと、続けて、僕に耳打ちをする。

「マサトさんの下着もお借りして、宜しいですか?私、列車の中に荷物置いてきちゃってて」

 やっぱり。。

 僕は、頷くと、自分の洋服と下着を出して、ミサさんに渡す。
「これ、アリスに着せてあげてください。」

 マサトさんの下着。
 ミサさんは、顔を赤くしながら、はい。と頷く。

 僕は、ミサさんの丈が長い上着を借りて、ミサさんと役割を交代する。
 僕が、路上の方を向いて、上着を広げていると、後ろから声が聞こえた。

「ありがとう。ミサお姉さん」
「ううん。それより、寒くない?私より、マサトさんにあとでちゃんとお礼言うんだよ」

 カサカサと、洋服に腕を通す音が聞こえる。
「あったかい。」

 良かった。ミサさんのホッとする声が聞こえる。
「お兄さんの香りがする」
「ほんとだ」
 二人の笑い声が聞こえる。

「もう大丈夫ですよ」
 ミサさんの声が、聞こえ、僕が振り向くと、僕の洋服の袖をまくって、自分の身長と合わせているアリスの姿があった。

 うーん。そう言いながら、アリスは、ズボンの裾をまくっては、ずるずると、下がるを繰り返している。

 なんとか、自分でどうにかしようと、可愛い顔の眉間にシワを寄せて、苦戦しているようだった。

「ズボンの袖、捲くるのは難しいと思うから、靴も濡れちゃったし、おんぶするよ」

 僕はそう言うと、アリスに背を向けて、乗ってくるのを待つ。

 ズシっと、人一人分の重さを感じると、僕はゆっくりと立ち上がった。

「この街にも教会があると思いますので、そちらに向かいましょうか。たぶん、子ども用の服も配っていると思うので」
 ミサさんは、そう言うと、僕のリュックを代わりに背負って、一緒に歩き出す。

 

 レンガ造りの町並みが、少しばかりか、日差しに当たって、明るく見える。
 アリスの重みを背中に感じながら、ふと、余計なことを考えてしまう。

 どこまで、面倒を見れるだろう?

 アリスの両親は、見つからなかった。
 僕が、これから向かうのは紛争地帯。

 どこまで、一緒に居てあげられるのだろうか?

 お兄さんのままで、いいや。とニヤついたアリスの笑顔を思い出す。

 僕は、向かう先で、この笑顔を奪ってしまうこともあり得る。

 そして、もう一度、列車に戻ったら、両親を探そうと思い直し始める。
 そんな僕の思考を遮るように、アリスの声が聞こえた。

 

 

「ありがとう。マサト」
 僕の耳元で、アリスは、ふふっと可愛げに笑った。