市場原理による心の支配
なんていう、タイトルなんだよ・・・
そんなわけ。
ところで、今年が明治維新から150周年なんですね・・・
つまり、日本が西欧化してからそんなに経つんですね。
ガリレオの宗教裁判が17世紀だから、人類が神様よりテクノロジーの力を信奉し始めてから300年?くらいですかね。
その昔、武士が魂を奪われるから写真を撮らなかったという話は有名ですが、今はそんな常識はないですよね。常識は常に変わるんです。動いています。
今ではかなり多様な恋愛感や生き方が尊重されるようになってきましたが。そんな心に忍び寄る影が・・・・
そう、これがこの本のテーマ。市場原理が何を支配しているのか?です。
市場原理っていうのは、モノに対して双方が価値を決めて、物々交換をするシステムのことですが、いったいどこまで、お金で買えるのでしょうか?最近は、自分の時間を売買できるアプリも出来てきました。
自分の時間を売買できる「タイムバンク」が秀逸な4つの理由 | 国内のWebサービスをまとめた「WebFolio (ウェブフォリオ)」
恋人や友人、愛人、全部、お金で買えてしまうのでしょうか。また、時間の希少性にもとづいて、遊園地などは早く並んだ人がアトラクションに乗れるわけですが、オプションでお金を払えば、並んでる人より先に乗れたりしますよね?代理母や刑務所からの釈放、速度オーバでの運転、どれも異なる事例ですが、ある意味、お金で解決してしまっています。
ここで重要なのは、お金の力が普段及ぶはずのない、道徳性が問われる問題についても、買い手と売り手の同意に基づき、なんでも許されるという感覚になってしまうことです。
みなさん、つい、プライベートでも打算的になってたり、しませんか?
デートでいくら使ったから、なにかしないと割に合わないとか。
市場原理が働くはずがない場所に、その論理を持ち込んでませんか?
そんなことをしたら、道徳や倫理観が疑われる結果になりかねません。
常識が自然と変わってしまった世の中、いつの間にか世間に流されていた世論。
これは正義なのか?もう一度考えてみる必要があるのかも。